オンカロ
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私たちはしばしば,気候変動の悪影響から私たちの惑星を守るために代替エネルギー源を見つけることの必要性について耳にする。
風力,波力,太陽のエネルギーはみな可能性のあるエネルギー源だが,化石燃料以外のエネルギー源から作られる電力のほとんどは原子力によってもたらされる。
原子力エネルギーは「クリーン」,つまり,二酸化炭素やその他の温室効果ガスを化石燃料エネルギー発電所ほど生み出さないかもしれないが,それは恒久的なエネルギー問題の解決策ではない。
石炭や石油のように,地上のウランの量には限りがあるので,原子力エネルギーは使用できるエネルギー源として今後たった100年間しかもたないだろう。
しかしながら,原子力エネルギー発電の影響は,化石燃料によって誘発される気候変動の結果生じてきた,あるいは生じる可能性のあるどんな被害よりも長く残り,潜在的にはより問題となる。
建築設計や技術は向上してきたものの,いまだに原子力発電所は地域全体,あるいは国家全体にさえ被害を与えることになりかねない事故に見舞われる可能性がある。
さらに,それらは数世紀にわたって生物圏に害を及ぼし続ける廃棄物を生み出す。
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その57年の歴史の中で,原子力エネルギー産業は現在までに最低でも30万トンの高レベル放射性廃棄物を生み出してきた。
安全のため,この廃棄物は少なくとも10万年の間,生物から隔離しておかなければならない。
私たちはどのようにしてこの物質を安全に処分するのだろうか。
フィンランドの事例は私たちが直面する問題のいくつかを明らかにしている。
現在,フィンランド政府は深地層処分場を建設しているのだが,それは長さ5キロメートルのトンネルが岩盤の中を蛇行しながら400メートル下って網の目のようにつながれた貯蔵庫に達する,というものだ。
その場所は「オンカロ」と呼ばれている。
それは2020年に廃棄物を貯蔵できるようになり,その後2120年に封鎖されるだろう。
フィンランド政府はオンカロを10万年間閉鎖しておこうとしている。
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それは建築家にとって見通しを立てるのが難しいことである。
それほど長い期間存続させるつもりのものを,どのように設計するのだろうか。
10万年後には,私たちの現在の文明の痕跡はほとんど,あるいは全くなくなっているだろう。
地上の最古の建造物のいくつかである,エジプトのピラミッドでさえ,約3000年しか存在していない。
オンカロは人間についての難しい概念的問題を提示する。
解剖学的現代人は約20万年の間存在してきたのだが,最初の人間がどれほど違うものだっただろうか考えてみなさい。
どうやって彼らと意思の疎通を図るのだろうか。どうやって今住んでいる世界を彼らに理解させられるだろうか。
10万年後に人間はどのようになっているだろうか。
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保管すべき物質がとても危険なので,オンカロの設計者たち,および多額の費用をかけてこれらの建造物を建設しなければならないすべての原子力利用国は,これらの問題について考えなければならない。
どのようにしたら私たちは,将来人間がその場所を発掘しようとして,人類と彼らの環境に対して甚大な被害をもたらすのを防ぐことができるだろう。
設計者たちは,「ここはとても危険な場所だ。近づくな。入ろうとしてはいけない」というような警告標識を残すこともできよう。
しかし,私たちはどうやってはるか未来の人間と意思の疎通を図ることができるのだろうか。
私たちはどの言語を使うのだろうか。英語? それとも中国語?
おそらくこれらの言語はどちらも,西暦102012年にはきっと存在していないだろう。
言語そのものがその時代までには使われなくなっているかもしれない。
絵を使うのはどうだろうか。
だとしたら,それはどんな絵だろうか?
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あるいは,私たちはその場所の危険に関する標識を何も残さず,ただ単にオンカロが発見されないままであることを願うべきなのだろうか。
私たちが熟慮しなければならないのは,たとえ警告であっても,標識を残すことによって,そこに何があるのか突きとめたいという人間の好奇心が削がれるのか,あるいはそそられるのかということだ。
私たちはもう一度ピラミッドについて考えることができる。
これらが埋葬のための建造物,死者の家として設計されたことは明らかだ。
それらは開けられて調査されることを意図されてはいなかったが,それでもやはり人間はそうしたのだ。
しかし,約200年にわたる発掘の後でさえ,ピラミッドの目的についての私たちの知識はいまだに不完全であり,エジプトの象形文字の表記法に関する私たちの知識も同様だ。
人間は生来知りたがり屋なのだ。
何かわからないことを目にしたら,たとえ私たちの調査が私たち自身や自然環境に害を与えるものであろうとも,私たちには解明する必要があるのだ。
しかし,もしオンカロが将来発掘された場合にその結果として生じうる破壊は,単に死者の願いを拒むことや彼らの信仰を軽視することよりも,はるかにずっと大きなものとなる。
実際,私たちがその問題を扱う適切な方法を考えつかなければ,将来私たちのしたことが正しかったのか間違っていたのかを判断する人間は存在しないかもしれない。
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