早稲田政経 2011 I 解答・全訳
1.
(b) (c) (a) 2(d) 3(d)
4.
(c) (b) (a) (d) 5 (d) 6 (b) 7
(a)
初めて都市が,都市計画を必要とするほど大きくなって以来,都市計画を実践する人たちは。拡大ばかりに目を向けてきた。帝政ローマから19世紀のパリやシカゴ,そして現在の北京にいたるまで,都市計画立案者や役人たちの任務は,人々が流人し、ビルが建設されていき,都市の境界が後背地に向けて拡大していくのに伴って,秩序を与えていくことだった。
しかし都市は必ずしも拡大するばかりではない。時には縮小することもあり,劇的なまでに縮小することもある。ここ50年の間に,デトロイト市は人口の半分以上を失乙,た。クリーブランドも同様である。これら2つの都市だけではない。
1950年の米国における!O大都市のうち,ボストンを含む8都市かそれ以降。人口の少なくとも20パーセントを失っている。ボストンは近年,その減少分のいくらかを回復し,好況を呈するホワイトカラー経済の頼みの綱となってはいるか,デトロイトのような都市のそれ以上にはるかに大幅な喪失一人,仕事,お金,そして社会のきずなの喪失は,回復の兆しを見せていない。住宅危機はその流れを加速したにすぎないのだ。
現在,少数だが,都市計画立案者や政治家の中には,何か新たな試みを始めようとしている人もいる。縮小化を甘んじて受け入れようというのである。立案者,活動家,役人たちは,これらの都市が近い将来かつての人口規模を取り戻すことはないだろうという点は率直に認めながら,うまく縮小化するとはどういうことかを議論するようになっている。彼らは何十年にもわたって賢明な都市の成長について頭を悩ませてきたのち,今度は賢明な縮小化について,つまり,どうすればより小さいがゆえにより健全な都市というものを創造できるかについて,考え始めている。この線に従って考えていくと,都市規模の縮小化とは,単なる経済的沈滞の副産物ではなく,ある種の戦略なのだ。
その結果として生まれる都市は,見た目も感じもまったく異なるーおそらく,近代的なアメリカの都市とはどういうものかについての一般的な理解とは異なるーものである必要があるかもしれない。住民を呼び戻そうとしたり,空き地に事業を招致しようとしたりするのではなく,むしろ,土地のまったく新しい利用法を見つけることで,都市はより暮らしやすい場所になるかもしれないのだ。例を挙げれば,大規模な都市農園を作る,風力発電装殼や地熱井を設置する,いくつかの広い区画を自然に帰す,などである。周縁地区にぽっぽつ現れる芸術家グループをただ黙って眺めているのではなく,都市側はそういうグループに都市に積極的に働きかけて都市部に住まわせ,都市景観を全面的に作り替えさせてしまうという手もあるだろう。あるいは,一部を民間企業に売り払って運営を任せることも考えていいかもしれない。
こういう考え方のいくつかは,実際に試行が始まっている。今や40平方マイル以上の空き逵を抱える都市,デトロイトでは,市長が,市民のさらに多くを今なお活気のある地防:に移す方法を見つけること。そして。その跡地を何か他に活用できないか考え出すことを,公約している。ますます多くの市や郡が,「土地銀行」を作って,それまでは市や郡が空き家のある区画を思うように管理できない原因となっていた行政上の障害を取り除くことができるようにしているのだ。
その考え方には今のところ賛否両論がある。デトロイトでは市長の提案は激しい批判を受けており,都市計画立案者らは一衰退の一途をたどる地区の住民の多くとともに一計画的な縮小化などというものは,最も大きな打撃を受ける地区の住民の救済をやめるための口実にすぎず,産業の衰退と住宅価格の暴落が貧しい労働者階級の住民の生活に与えている痛みをさらに悪化させるだけだと主張している。
その問題について考える際に都市計画立案者が直面する困難の一つに米国には管理された都市縮小化についての事例研究がないということがある。しかし,海外になら先例はある。ベルリンの壁が崩壊し,ドイツが再統一されてから,旧東ドイツは大規模な人口流出を経験した。ライプツィビなどの都市の住民が,なだれをうって,より繁栄している西側へと向かったのだ。
特にライプッイヒの行政は,その減少した規模が恒久的な状態となるだろうとの認識を持ち,しかるべき対応をした。ジャーマン=マーシャル=ファンドのタマル=シャピロによると,市の役人たちは,出ていった人たちが放置した全ての空き家によって生じる問題に対処し始めた。維持管理がなされていないためにそれらの家は徐々に朽ちていき,ついには危険なものになったのだ。そういう家は周辺の不動産の資産価値を引き下げ,地域を空洞化させ,無断居住者や犯罪を呼び込んだのである。
市の役人たちは新たな土地利用契約を策定したのだが,その契約では,私的な所有者は固定資産税を支払わなくてもよい代わりに数年の期間は市にその管理を委ねるという旨に署名することになっていた。市の行政は,その場所を使って自由にやりたいことができるようになったり―それは大抵の場合,建物を取り壊して公園や緑地にすることであった―。さらに もし都市の人口が再び増え始めたなら,土地の所有者は,契約が終了した時点で,その土地を再開発できるようにもなっていた。
計画立案者や市や国の役人たちは,この米国でも同じような考え方に口を向け始めている。デトロイト。クリーブランド,ピッツバーグ,フィラデルフィア。そしてその他いくつかの市には,空き地や空き区画を公園にするために設けられた,数多くの非営利団体がある。それらの区画の多くは何らかの方法で手入れがなされており,なかには,その区画を通り抜ける小道が一つ二つあったりなかったりというくらいで,自然に帰るにまかせてある区画もある。その狙いは,一つには美観のためということもあるが,それだけでなく,空き家その他の衰退の兆候を緑の草木で置き換えることによって,近隣の住宅や地区の資産価値を高めようという試みでもある。
縮小化は,戦略として見た時,確かに批判する人もいて,その人たちはそれを,地元住民に課せられた都市の再生戦略を何十年にもわたって継続することだと考えている。縮小化などというのは,滅びつつある地区を復興させようとしているのではなく,むしろ見切りをつけているだけだ,というわけである。「私はまだ,都市や地域社会が,縮小することで再生した例を示されたことなどありません」と,都市問題評論家で著作家でもある,ロバータ=ブランデス=グラッツは言う。
縮小化を支持する人たちも,人々に無理やり引っ越しをさせるのは,たとえ可能な場合であっても常に避けるべきだ,という点にはまったく異論はない。しかし,彼らの主張するところでは,もっと大きな問題は,縮小化を図るべきか否かという議論が的外れだということなのである。つまり,これらの都市はすでに縮小しているわけで,都市は軌道修正を行って,その新たな人口が,もっと多くの人間のために作られていた環境に適応できるようになることを保証する必要があるのだ。
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