早稲田政経2012 III 和訳・解答



 ここ数年来の大きな社会的変革といえば,何か大きな政治的出来事ではなく,私たちの人づき合いの場がフェイスブックのようなソーシャル・ネットワーキング・サイトによって再定義されるに至ったことである。ダーウィンや彼と同時代の人たちには,このようなものはどれほど途方もない夢の中でさえ,想像もできなかっただろう。ダーウィン自身のような少数の恵まれた人々にとっては,友人が各地に散在している範囲は,新たに導入された郵便事業と手紙をいっぱい書くことで,大きく広がったかもしれない。しかし,一般的には,たいていの人たちの人づきあいが及ぶ範囲は,自分がしかに出会った大たちにほぼ限定されていた。ソーシャル・ネットワーキング・サイトは,ダーウィンの時代に人々の交際範囲を制限していた時間と地理的な限界を打ち破ったように思われる。

 この技術革新の気になる副産物のひとつは,個人的なサイト上でもつ友人の数をめぐる奇妙な竸い合いである。こういう主張の中には,場合によっては友人として登録された人の数が合計何万人にもなっていて,どう控えめに言っても誇張しているとしか言えないものまである。しかしながら,この得体の知れない小さなコンピュータの世界をちらっと見てまわるだけでも,即座に2つのことがわかる。第一に、友人の数の分布に非常に偏りがある。つまり,ほとんどの人は自分のリストにかなり平均的な数の「友人」をもっており,ほんのひと握りの人だけが200を超える人数の友人をもっているのである。第二に本当の意味で友人として数えられるのはどんな人かという問題がある。非常に大勢―つまり,およそ200人を超える数―の友人がいる人たちは,必然的に自分のリスト上にいる人の大半については,ほとんど何も知らないからだ。

 これが意味するところを詳しく調べるには,まずサルや類人猿とともに私たちが霊長類の仲間として進化の過程で継承してきた遺産から始めなければならない。この遺産というのは,人間関係に伴う,深い社会的複雑さである。他より賢い哺乳動物や鳥類の基準からしても,人間関係は非常に複雑に絡み合い,相互依存性が強い。そして,さらに言うと,霊長類は他のどの集団の動物よりも身体の大きさに比べて脳がはるかに大きいからである。

 霊長類の社会は,2つの重要な点において他の動物の社会と異なるようだ。一つ目は個人同士の強い社会的なつながりに依存している点であるが,このために霊長類の集団は高度に組織化されているように見える。霊長類は,比較的組織化されていない群れをなす移動性のシマウマや,群れをなす多くの昆虫といった動物のように、これらの集団に容易に出入りすることはできない。他にも,このように非常に組織化された集団をもつ種―象やプレーリードックは2つの顕著な例である―がいるかもしれないが,これらの動物にしても,別の点で霊長類とは異なる。これは,霊長類が,自分たちの生活している社会に関する知識を使って,他の動物たちよりも,より複雑な相互協力関係を築いているという点である。

 この社会的思考力についての仮説は,集団の大きさ,そしてそれゆえに社会が複雑であることと,ヒト以外の霊長類の多様な種における新皮質―主に認知的思考に関与する,脳の外側の表面にある層―の相対的な大きさとの問に強い関連性があることが,その根拠となっている。この結果は,ある特定の種の動物が同時に把捉できる関係の数と質,あるいは数または質に上限があることを示すもののようである。あるコンピュータが複雑な作業を処理する能力が,そのメモリと演算処理装置のサイズによって制限されるのと同様に脳が絶えず変化する社会生活の範囲に関わる情報をうまく処理する能力もまた,脳の新皮質の大きさによって制限されるかもしれないのである。

 ヒト以外の霊長類における,新皮質と集団の大きさとのこのような関係は,ある明らかな疑問を提起する。私たちの新皮質の方が大きいことを考えれば,人間に関して,どのような大きさの集団が予測されるだろうか? その基準としてサルや類人猿にとっての関係を用いてみると,私たちは約150という集団の大きさに行き着く。これが人のもちうる有意義な社会的関係の数の上限であり,「ダンパー数」という名称がつけられている数字である。

 人間の集団の大きさに一見したところこのように認識できる限界があるのは,記憶の容量オーバーという問題の表れなのだろうか(私たちは150人しかそれぞれの大を覚えていられないか, 150人規模のコミュニティ内でしか,関わりのある人間関係をすべて把握していられない),それとも問題はもっと把握しにくい問題一関わりのある人間関係の複雑さと何らかの関係があるものなのだろうか?

 証拠からすると後者である可能性が高く,それに後押しされて,大切なのは人間関係の「質」に関わる何かであって,単にその絶対数ではない,という考えに行き着く。私たちが集団の大きさに上限があると思うのは,これが,動物が非常に複雑なレベルで維持できる関係の数の上限だからである。それは単に誰が誰だとか,xがyとどのような関係にあって,その2人が自分とどう関わっているかを覚えているかどうかというだけの問題ではなく,むしろ,自分がそういった人間関係に頼る必要が生じたとき,それらをうまく扱うために,関わりのある個々の人たちに関する知識をいかに利用することができるかということなのである。
  

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6.cfa  (evidence points to the second as)
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