TUFS 2007 和訳他
ロサンゼルス「ウィキペディアにあなたに関する項目が掲載されるかどうかをあなたは選ぶことはできません。また,その内容に関して拒否権もありません。その項目は,あなたを天才とすることも,ばか者だとすることもできます。また,尊敬される科学者とすることも,頭の変な人とすることもできます。心ない人間がページを,どんなページであっても,まったく訳のわからない話と置き換えてしまうこともできます。アインシュタインのページロ彼はナチの協力者であるとか,彼の理論はまったく信用できないものになったとか,彼はプロキシマ=ケンダリウスから来たシリコンでできた生命体だったとかいう趣旨の言葉が書き込まれるかもしれません……。ウィキペディアは,あなたのルールではなく,ウィキペディア自身のルールで運営されています。あなたがそれを認められるようになることを提案します。……あなたに保証しますが,抵抗は無駄です」
これは,他の「編集者」が数日前に掲載した「バーナード=ハイシュ」の項目を,私か少しでも正確で中立的なものにしようと奮闘している真っ最中に ウィキペディアの匿名「編集者J KSmrqから受け取ったお説教だ。私か引用符つきで「編集者」と書くのは,誰でも自称編集者になることができてしまうからである。 KSmrqのユーザーページに次のように書かれている。「私も確かに個人的な経歴,関心,教育や専門的経験はありますが,それをこのページで世界の人々と共有しなければならないとはまったく思いません」これが信頼と自信とを生み出しているのだ!
「このページを編集する」ボックスのところをマウスでクリックするだけでいい。そうすれば,あなたも実質的にどの項目(少数の記事,例えば,ジョージ=W.ブッシュなどはブロックされているが)でも好きなようにつけ加えたり,削除したりできる。それも身元や関連情報を書くかどうかは任意である。おめでとう。あなたはいまやウィキペディアンだ。
しかし,待って下さい。もしその項目が,たまたま,あなたやあなたの仕事に関するものであったならば,「このページを編集する」をクリックするのを控えたほうがよいでしょう。その代わり,もし問題があれば,議論のページをクリックして,丁寧に自分の言い分をそこで述べたほうがよい。そして,他の自称編集者があなたの言い分の価値を考慮してあなたのために訂正してくれることを期待するのだ。
ウィキペディアンたちは,どういうわけか,集団的試行錯誤によって徐々に信頼できるものがやがて現れてくると信じている。
すでに広く報道されている2005年の事例が証明しているようにいつもそうなるとは隕らない。ヴァンダービルト大学の憲法修正第1条センターの創設者であり,ロバート=F.ケネディの元補佐官であったジョン=ジーゲンソーラー=シニアが2005年9月に友達に教えてもらって,次のようなことを発見した。つまり,過去4ヵ月間にわたって,ウィキペディアの彼に関する事項に匿名編集者によって挿入された以下のような言葉が含まれていたのである。「ジョン=ジーゲンソーラー=シニアは1960年代初期,ロバート=ケネディ司法長官の補佐官であった。一時期,彼はジョン=F.ケネディと彼の弟ホビーの両方の暗殺に直接関与していたと考えられていた。これまでのところ何も証明されてはいない」
ジーゲンソーラーが『USAトゥデー』紙に掲載した特集記事には,いらいらしながら,彼がこの発信元を特定しようとしたが,その試みは無駄に終わったことが詳しく述べられている。その犯人は,やがて名乗り出て謝罪をし,それは悪い冗談だったと説明した。
このような例は,起こりうる最悪の例であり,またウィキペディアのシステムが,結局は誤った情報をやがて排除する証拠と見なす人もいるかもしれない。
私はそれには賛成しない。このような明らかに間違ったものは,早晩,訂正されるであろう。よりいっそう人を誤らせやすいのは,否定的な偏見や偏った選り好みだ。それによって,あることやある人物像をまったく不正確に描くことができるのだ。これを訂正するのは,猛吹雪の中でパンクしたタイヤを直すほど困難なことなのである。しかも,それがたとえ訂正できたとして,5分後にはまた,それが変えられる可能性もあるのだ。
残念なことに ウィキペディアに晝いてあることなどたいして重要ではないと自分に言い聞かせることは,もはや現実的な選択ではない。ウィキペディアは急速に項目とユーザーの数を増やしており,多くの人々にとってウィキペディアは彼らが見ると思われる最初で唯一の情報源であろうからだ。
もちろん,ウィキペディアはピタゴラスの定理や周期表などのことではその間違いを正すであろう。しかし,もっと主観的な話題や議論の余地のある話題など,特に人物については,正確で偏見のない項目になるということはないのである。
確かに規則一驚くべきことにそれも自由に編集可能なのだかによれば,「編集者」が従うべき方針,例えば,「中立的な観点」というものはある。しかし,それに従う者もいれば従わない者もいる。彼らのうちの大半は,もしあなたが勇気を出して,自分に関する事実や誤解を訂正したとしても,それをまたすぐに編集し直してしまうのである。ウィキペディアの編集者は,裁判官であり,陪審員であり,検事なのだ。
私はどうしてウィキペディアと闘うことになったのか。宇宙物理学という私の主要な仕事の一つとして,私はNASAが後援する研究を行った。また,その分野の主要な雑誌である『宇宙物理学ジャーナル』の編集者の一人として10年間働いた。しかし,それと同時に私は『科学的探検ジャーナル』の編集も行った。この雑誌の意図は,非正統的な話題,例えば,つまらないものもあるが,オカルト現象やUFOの報告の分析を批判的に議論する科学的な場を提供することである。私はこの仕事を無報酬の社会奉仕として行った。
私は6月にウィキベディアの編集者が私に関する項目を書き込んでいるのを見つけた。その項目では,私か発表した100本以上の科学論文は事実上無視され,ほとんど後者の話題だけが取り上げられていた。この項目をある程度は筋の通ったものにしようと説得するのは,骨の折れる編集合戦であったが,「編集者」がウィキペディアから抜ける決断をしてくれたおかげで助かった。しかしその項目がまた他の匿名編集者によって再度書き込まれる可能性はある。もちろん,あなだだって,私の項目を編集してやろうと思うかもしれないのである。でも,どうかそれはやめて下さい。
私に関して言えば,オスカー=ワイルドがかつて言ったように「人の噂になることよりもさらに悪い唯一のことは,噂にもならないことなのだ」。これがせめてもの慰めである。
解答例(赤本と旺文社)
1.天才として尊敬されている人についてですら,とんでもない記事が書き込まれる可能性があることを示すため。(50字)
1.ウィキペディアにある項目の記述はだれでも自由に編集できるので,その内容に信憑性がないことを示すため。(50字)
2.クリックすれば誰でも自称編集者になれてしまう以上,本当に編集者の資格があるのか疑わしいという気持ち。(50字)
2.ウィキペディアのeditorは自称編集者なので,本来的意味での編集者ではないという気持ちを表すため。(50字)
3.集団的試行錯誤によってやがては信頼できるものが出来上がる,というウィキペディアンたちの信念が常に正しいわけではないということを示すため。(68字)
3.大勢の集団的試行錯誤の過程から信頼できる記述がやがて現れるというウィキペディアの基本理念が必ずしも当てはまるわけではないことを示す例として。(70字)
4.否定的な偏見や偏った選り好みに基づいて書かれた,人物や物事についての不正確な情報を訂正すること。(48字)
4.ある物事や人物に関して,その不正確な姿を伝えかねない有害な歪曲とか選り好みされた事実を修正すること。(50字)
5.100本以上の科学論文など,宇宙物理学者としての仕事が事実上無視され,オカルト現象やUFOといった非正統的なトピックに関する議論を扱った雑誌の編集を手がけていたことばかりが記事に取り上げられていた。(99字)
5.天体物理学者である筆者が学術誌で発表した100を超える科学論文を無視し,オカルト現象など非正統的な話題に関する議論の場を提供する通俗雑誌で取り上げた話題ばかりをウィキペディアの記事は問題にしていたから。(100字)
6.たとえウィキペディアの記事に歪曲や誤謬があるのだとしても,全く話題にされないよりはされるほうがましだと考えれば,多少は我慢できるという意味。(70字)
6.自分に関して間違ったことを言い触らされるのは不愉快だが,それでも自分が世間から無視されずに事典で話題にされるほどの有名人であるという意味で。(69字)
ユーモアの一つの定義は,「人を笑わせるもの,もしくは微笑ませるもの」というものである。すべてのわかりやすい定義と同様,例外は見つけられる。そのときに誰も笑わなくても,あることにユーモアがあると主張することは可能だし一皆が笑っていても「それはおもしろくない」と主張する人がいる場合もよくある。微笑みや笑いは恐怖や当惑を表す場合もある。このような反論にもかかわらず,そうしだ反応”というものがあることをユーモアと見なす際の重要な要素である。だとすれば,言語についての調査が,“なぜ”人々が笑うのかを説明する助けになる可能性がある。
人々は人と一緒にいると笑う。研究によってわかっていることは,人がたくさんいる部屋では,あるユーモアで笑うのだとしても,その同じユーモアを1人でいるときに笑うことはめったにないという。人々のユーモアに対する反応の仕方には,きわめて社会的な側面がある。真顔をくずさない人々のいるところで,あなたのお気に入りのコメディーを見ても,あなたはそれをそんなにおもしろいとは思わなくなる可能性がある。他の人がユーモアに反応していると感じられることが重要なのである。だからこそ。
「効果音としての笑い声」がテレビやラジオのコメディーで使われるのである。同じ冗談がある場合にはすばらしく受け,ある場合にはまったく受けないということがあるのは,方々を巡業する独演のコメディアンのよく知るところである。言語がもつ他の面と同様にユーモアは人々がある集団に対する忠誠心を示す方法でもある。もし誰かが何かユーモラスなことを言おうとする意図を合図したなら,聞き手はただちに笑う心構えをする。人々は,この種の合図が出ると,その冗談がわかろうがわかるまいが,笑うことが多いのである。
もし聞き手が話し手と距離を置きたいと思っているのならば反対のことが起こる。いったん,誰かのことを,例えば,時代遅れだとか,愚かだとか,人種差別主義者だとか感じたら,あなたが笑うことはなさそうだ。社会的状況がユーモアの創造と受容に重要なのである。ユーモアが時代や社会集団の枠を超えるのは難しいーユーモアはファッションのようにすぐ時代遅れとなるし,特定の文化や考え方に依存している場合が多いからである。状況が重要になる他の場合もある。「あらゆることには時と場合がある」という言葉は,ユーモアにも当てはまる。ある状況では,例えばユーモアが取るに足りないものに思えたり,重要な問題から気を散らすものであったりした場合には,適当であると感じられない。またユーモアを
「冷めた状態で」受け取るのも難しい。朝一番に笑う人はほとんどいない。だから,コメディーの番組は1日のうちでも人がゆっくりする時間帯に予定されているのである。コメディーのイベントが晩にある場合ですら,観客をふさわしい気分にするために前座の芸人がしばしば使われるのである。
ユーモアには,それが意図したものであってもそうでなくても,さまざまな効果がある。ユーモアはただ笑いのためにあるというのは,単純に割り切りすぎだ。笑っていても,ある意味ではそれがおもしろくないと認めることも可能である。ユーモアにはある標的がーそれは人物であったり,制度であったり,一連の信念であったりするのだがーあるのかもしれない。そのような場合には,ひどく深刻な目的が隠されているのである。死に関する嫌な冗談のようにユーモアは驚くほどまじめな状況でも言われることがある。
だから,笑いはユーモアの必要条件でも十分条件でもないが,常識的観点からすれば,ユーモアの定義の出発点として有益なのである。
ユーモアは,文学や広告やメディアが有しているような,より明瞭な意義を欠いた,周辺的な余暇活動のように考えられるかもしれない。友達と楽しく過ごす場合には笑いが伴うのが普通である。
2.①-エ ②一ア ③一力 ④-ク ⑤一オ ⑥-ウ ⑦-コ ⑧一キ ⑨一ケ ⑩一イ
私はパディントン駅近くのパブで,ブランデーのミニチュアボトルを手につかみながら座っている。朝11時を30分ほど過ぎたばかり一酒を飲むにはちょっと時間が早いが,アルコールは一つには報酬として,また一つにはから元気をつけるためである。なぜ報酬か。偶然を装ってわざと大にぶつかり,「すみません」と言った人の数を数えるということをして,骨の折れる午前中を過ごしたばかりだからだ。また,なぜから元気なのか。私はこれから駅に戻って,非常に罪深いことにっまり列への割り込みに数時間を費やそうとしているからだ。
私は本当に“本当に”こんなことはしたくない。いつものような方法を使って,何も疑っていない研究アシスタントに神聖な社会規範を破らせ,私は安全な距離からその結果を観察していたかった。しかし,今回は,私は勇気を出して自分がモルモットにならなければならないと決意したのだ。私は勇気があるとは思っていない。私は怖いのだ。私の腕は大にぶつかる実験で打ち身だらけだ。こんなばかげたイギリス大らしさプロジェクトは全部,今ここで放棄してしまいたい。そして家に帰って,紅茶を1杯飲んで普通の生活を送りたい。とりわけ,午後の間ずっと列に割り込むなどということを,私はしたくはない”。
私はなぜこんなことをしているのか。一体何のために大にぶつかったり,割り込みをしたり(明日やろうとしている同じようにばかげたことについては言わないことにしよう)こうしたおかしなことをしているのか。いい質問だ。どうやら答えておいたほうがよさそうだ。
私たちは絶えずこう言われつづけている。イギリス人は,自分たちの国民性を失ってしまった一つまり,「イギリス大らしさ」などというものはもはや存在しないのだ,と。こうしたアイデンティティの危機と言われているものを嘆き悲しむ本は,大量に存在している。その本のタイトルも悲しげな『イギリスはいかが?』というものから,やるせない『イギリス、一つの挽歌』というものまである。過去12年間の多くの時間を使って,イギリスの文化と社会的行動のさまざまな面をーパブ,競馬場,店,ナイトクラブ,電車,通りの角で調査してきて,私は確信している。「イギリス大らしさ」というものは確かに“ある”レそれが消滅したという報告は,非常に誇張されたものなのだ。この本を書くために行った研究において,私は,イギリス人の行動の隠された暗黙の規範と,その規範が我々の国民性について教えてくれることを発見しようと試みた。
その目的は,イギリス人の行動を支配する規範 つまり,階級,年齢,性別,地域,サブカルチャー,その他の社会的境界にまたがっている行状の非公式的規則-における“共通点”をつきとめることである。例えば,婦人協会のメンバーと革シャンの暴走族には,表面上は共通点がほとんどないように思われる。しかし,表面的な差異という「民族学的眩惑」を超えて見れば,婦人協会のメンバーと暴走族は,さらにその他の集団も,皆同じ不文律一つまり,我々の国民性と国民的特徴とを定義する規範に従って行動しているのだ,ということを私は見出したのである。この国民性は「存続しており,将来にも過去にも広がっているものであり,そこには生き物におけるのと同様,持続する何かがあるのだ」。そう私はジョージ=オーウェルとともに主張しよう。
私の目的は,もうこう言ってよければ,イギリス人の行動の「文法」を提供することだった。ネイティヅの話者が自分たち自身の言語の文法的規則を説明できることなどめったにない。同じようにある特定の文化における儀式や習慣や伝統にきわめて「流暢」である人々は,一般にこれらの慣行の「文法」を大にわかるように説明するのに必要なだけの距離をとることができていない。これが我々が人類学者をもっている理由なのだ。
ほとんどの人々は,自分たちの社会の不文律に本能的に従っていて,そうしていることを意識しない。例えば,パジャマを着て出勤するのを禁じるようなエチケットについての不文律があるということを意識的に思い出さなくても,あなたは朝には,機械的に服を着るのである。しかし,もしあなたのところに人類学者が滞在していて,あなたのことを研究していたら,彼女はこう尋ねるだろう。「なぜあなたは服を着替えるのか」「もしパジャマを着て仕事に行ったらどうなるのか」「何か他のものを着て仕事に行くことはできないのか」「金曜日はなぜ違うのか」「あなたの会社では皆そのようにしているのか」「なぜ重役たちは金曜日にカジュアルな服を着る習慣に従わないのか」そしてまた次から次にあなたが心から彼女にうんざりするまで尋ねるだろう。それから彼女はーあなたの属する社会の内のさらに別の集団に属している一他の人々のところへ出かけて行って観察し,質問するだろう。それから何百ものおせっかいな質問や観察をする。そして,やがて彼女はあなたの文化の衣服に関する「文法」を解読するであろう。
3.①ウ、②ア、③エ、④カ、⑤オ
Now, Words and Their Stories - a VOA Special English program about American
expressions. I'm Rich Kleinfeldt with some expressions containing the word "hit."
Hit is a small word but it has a lot of power. Baseball players hit the ball. Missiles hit an airplane. A car hits a tree. Hit also joins with other words to create many colorful expressions. One is hit the road. It means to travel or to leave a place, as suggested in this song, "Hit the Road." Another common expression is hit the spot. At first it meant hitting a spot at the center of a target with an arrow. Someone who did so was satisfied with his shooting. Now, hitting the spot usually means that a food or drink is especially satisfying. Many years ago, Pepsi Cola sold its drink with a song that began, "Pepsi Cola hits the spot, twelve full ounces, that's a lot..." Another expression involving hit is hit bottom. Something that has hit bottom can go no lower. If the price of shares of a stock hits bottom that might be the time to buy it. Its value can only go up. A student who tells you his grades have hit bottom is saying he has not done well in school. When a student's grades hit bottom it is time to hit the books. Hit the books is another way of saying it is time to study. A student might have to tell her friends she can not go with them to the movies because she has to hit the books. Not hitting the books could lead to an unpleasant situation for a student. The father or mother may hit the ceiling when they see the low grades. Someone who hits the ceiling, the top of the room, is violently angry. A wife may hit the ceiling because her husband forgot their wedding anniversary. To build something of wood, you usually need a hammer. That is what you use to hit nails into the pieces of wood to hold them together. When you hit the nail on the head, exactly on its top, it goes into the wood perfectly. And when someone says your words or actions hit the nail on the head, he means what you said or did was exactly right. If you are tired after hitting all those nails on the head, then it is time to hit the hay. That expression comes from the days when people slept on beds filled with dried grass or hay. Some people slept on hay in barns where they kept their farm animals. Hitting the hay simply means going to bed. That is a good idea. I think I will hit the hay now.
This VOA Special English program, Words and Their Stories, was written by Frank
Beardsley. I'm Rich Kleinfeldt.
①especially satisfying ②no lower ③time to study
④violently angry ⑤exactly right ⑥to bed
A BRIEF HISTORY OF NEWSPAPERS
Today I'm going to talk about the history of newspapers. Now, I wonder how many of you read a newspaper every day? How many of you get the news from other media: from TV, radio or the internet? Despite the explosion of new media technology, particularly in the last ten years, newspapers are still the main source of news around the world. According to one estimate, around one billion people read a newspaper every day.
From the beginning of civilization, people have always passed word around of new and interesting events. The first written news that we know about was in the form of handwritten news sheets circulated by government officials in China during the Han Dynasty from 202 BC to 221 AD and then again later in the T'ang Dynasty (618-906).
News sheets also appeared in Ancient Rome. In 59 BC, Julius Caesar ordered that large white boards called the Acta Diurna on which information about such things as the latest laws, regulations and um military activity was written should be displayed in public places, such as the Forum and the Baths.
Of course the most important event in the history of newspapers, as in all media, was the invention of the printing press in 1447 by Johann Gutenberg. The first printed news sheets fell into two types: one was information that was useful to trade and commerce. This type of news media was fuelled by and in turn helped to fuel the growth of a powerful merchant class throughout Europe. Another type was the pamphlet. Many of these contained sensational stories ― often about terrible happenings in other countries. One German pamphlet for example carried reports of the horrific abuse of Germans living in Transylvania by Vlad Trepes Drakul, better known today as Count Dracula.
These early news sheets were not what we would think of as newspapers - mainlybecause they were not published on a regular basis. They tended to be printed in response to some interesting event. Perhaps the earliest 'real' newspapers were the notices sent out once a week by the government of Venice from 1566 and sold for a small coin, called a gazetta.
However, it was the beginning of the 17th century when newspapers began to spring up all over Europe. The oldest surviving newspaper in England came out on September 24, 1621 under the rather long name: Corante, or weekly news from Italy, Germany, Poland, Bohemia, France and the Low Countries." Its publisher gave only his initials, N.B. At that time in London there were two publishers with those initials! Nathaniel Butter and Nicholas Bourne. There is some argument among historians which of these was the NB of this early newspaper.
As you could probably guess from the title of the English newspaper, newspapers in the first half of the 17th century were mainly concerned with news from abroad, not domestic issues. This began to change in the latter half of the 17th century. In England the weakening power of the King was reflected in the tendency of newspapers to criticize his authority. Newspapers announced the beheading of King Charles I at the end of the English Civil War, despite an attempt to suppress them by Oliver Cromwell. Cromwell succeeded in censoring the press, but after the return of the monarchy, newspapers came back stronger than before.
The eighteenth century saw freedom of the press as a key element of the political movements that were developing in the British colonies, particularly America, and in other European countries. Sweden was the first country to pass a law ensuring press freedom. In America, the First Amendment to the Constitution of the United States, ratified in 1791, prohibits Congress from passing any law that limits the freedom of the press.
Now we move onto the 19th century when we have another landmark event in the history of newspapers: the invention of the telegraph in 1844. Prior to this, newspapers had struggled to fill their pages with timely information. Often the news was old and conflicting accounts of the same event might appear in a newspaper on the same day. Now they had access to fresh information from around the world. Newspapers now spread to all corners of the world. Japan already had a form of news media known as yomiuri, or kawara-ban sheets, which were used from the Tokugawa period. However, Japan's first modern newspaper was the Yokohama Mainichi Shinbun, which appeared in 1870.
The 1890s to 1920s was the golden era of print media. This was the age of media barons ― men like William Randolph Hearst, Joseph Pulitzer and Lord Northcliffe, who built up huge media empires and massive fortunes. They also controlled much of the media ― in 1922 for example, Hearst owned 20 daily and Sunday newspapers, two wire services, six magazines and a news reel. This amount of media power meant the media barons also wielded considerable political power, and many people at the time considered this to be unhealthy.
In the second half of the twentieth century, however, newspapers began to face a threat to their dominance. The threat started with competition from radio which began offering another source of news in the 1920s. However the main change has been due to Television. In 1940 one newspaper was sold for every two adults; by 1990 this had declined to one in three. According to one survey, only 8.9 per cent of Americans kept up with news of the Persian Gulf War primarily through newspapers.
Most of the major newspapers that have survived the competition have done so because they are owned by large national media chains, some of which also own other media outlets such as broadcasting companies. They have changed in other ways too. To some extent they've experimented with new technologies and more entertaining styles. Most have made in-depth analysis and opinion a feature that distinguishes them from other media. The number of newspapers with different voices and different perspectives on the world has certainly declined, but those different voices and perspectives have not disappeared; they have moved to the internet.
①一c ②一b ③-a ④-c ⑤一a ⑥-b
これは,他の「編集者」が数日前に掲載した「バーナード=ハイシュ」の項目を,私か少しでも正確で中立的なものにしようと奮闘している真っ最中に ウィキペディアの匿名「編集者J KSmrqから受け取ったお説教だ。私か引用符つきで「編集者」と書くのは,誰でも自称編集者になることができてしまうからである。 KSmrqのユーザーページに次のように書かれている。「私も確かに個人的な経歴,関心,教育や専門的経験はありますが,それをこのページで世界の人々と共有しなければならないとはまったく思いません」これが信頼と自信とを生み出しているのだ!
「このページを編集する」ボックスのところをマウスでクリックするだけでいい。そうすれば,あなたも実質的にどの項目(少数の記事,例えば,ジョージ=W.ブッシュなどはブロックされているが)でも好きなようにつけ加えたり,削除したりできる。それも身元や関連情報を書くかどうかは任意である。おめでとう。あなたはいまやウィキペディアンだ。
しかし,待って下さい。もしその項目が,たまたま,あなたやあなたの仕事に関するものであったならば,「このページを編集する」をクリックするのを控えたほうがよいでしょう。その代わり,もし問題があれば,議論のページをクリックして,丁寧に自分の言い分をそこで述べたほうがよい。そして,他の自称編集者があなたの言い分の価値を考慮してあなたのために訂正してくれることを期待するのだ。
ウィキペディアンたちは,どういうわけか,集団的試行錯誤によって徐々に信頼できるものがやがて現れてくると信じている。
すでに広く報道されている2005年の事例が証明しているようにいつもそうなるとは隕らない。ヴァンダービルト大学の憲法修正第1条センターの創設者であり,ロバート=F.ケネディの元補佐官であったジョン=ジーゲンソーラー=シニアが2005年9月に友達に教えてもらって,次のようなことを発見した。つまり,過去4ヵ月間にわたって,ウィキペディアの彼に関する事項に匿名編集者によって挿入された以下のような言葉が含まれていたのである。「ジョン=ジーゲンソーラー=シニアは1960年代初期,ロバート=ケネディ司法長官の補佐官であった。一時期,彼はジョン=F.ケネディと彼の弟ホビーの両方の暗殺に直接関与していたと考えられていた。これまでのところ何も証明されてはいない」
ジーゲンソーラーが『USAトゥデー』紙に掲載した特集記事には,いらいらしながら,彼がこの発信元を特定しようとしたが,その試みは無駄に終わったことが詳しく述べられている。その犯人は,やがて名乗り出て謝罪をし,それは悪い冗談だったと説明した。
このような例は,起こりうる最悪の例であり,またウィキペディアのシステムが,結局は誤った情報をやがて排除する証拠と見なす人もいるかもしれない。
私はそれには賛成しない。このような明らかに間違ったものは,早晩,訂正されるであろう。よりいっそう人を誤らせやすいのは,否定的な偏見や偏った選り好みだ。それによって,あることやある人物像をまったく不正確に描くことができるのだ。これを訂正するのは,猛吹雪の中でパンクしたタイヤを直すほど困難なことなのである。しかも,それがたとえ訂正できたとして,5分後にはまた,それが変えられる可能性もあるのだ。
残念なことに ウィキペディアに晝いてあることなどたいして重要ではないと自分に言い聞かせることは,もはや現実的な選択ではない。ウィキペディアは急速に項目とユーザーの数を増やしており,多くの人々にとってウィキペディアは彼らが見ると思われる最初で唯一の情報源であろうからだ。
もちろん,ウィキペディアはピタゴラスの定理や周期表などのことではその間違いを正すであろう。しかし,もっと主観的な話題や議論の余地のある話題など,特に人物については,正確で偏見のない項目になるということはないのである。
確かに規則一驚くべきことにそれも自由に編集可能なのだかによれば,「編集者」が従うべき方針,例えば,「中立的な観点」というものはある。しかし,それに従う者もいれば従わない者もいる。彼らのうちの大半は,もしあなたが勇気を出して,自分に関する事実や誤解を訂正したとしても,それをまたすぐに編集し直してしまうのである。ウィキペディアの編集者は,裁判官であり,陪審員であり,検事なのだ。
私はどうしてウィキペディアと闘うことになったのか。宇宙物理学という私の主要な仕事の一つとして,私はNASAが後援する研究を行った。また,その分野の主要な雑誌である『宇宙物理学ジャーナル』の編集者の一人として10年間働いた。しかし,それと同時に私は『科学的探検ジャーナル』の編集も行った。この雑誌の意図は,非正統的な話題,例えば,つまらないものもあるが,オカルト現象やUFOの報告の分析を批判的に議論する科学的な場を提供することである。私はこの仕事を無報酬の社会奉仕として行った。
私は6月にウィキベディアの編集者が私に関する項目を書き込んでいるのを見つけた。その項目では,私か発表した100本以上の科学論文は事実上無視され,ほとんど後者の話題だけが取り上げられていた。この項目をある程度は筋の通ったものにしようと説得するのは,骨の折れる編集合戦であったが,「編集者」がウィキペディアから抜ける決断をしてくれたおかげで助かった。しかしその項目がまた他の匿名編集者によって再度書き込まれる可能性はある。もちろん,あなだだって,私の項目を編集してやろうと思うかもしれないのである。でも,どうかそれはやめて下さい。
私に関して言えば,オスカー=ワイルドがかつて言ったように「人の噂になることよりもさらに悪い唯一のことは,噂にもならないことなのだ」。これがせめてもの慰めである。
解答例(赤本と旺文社)
1.天才として尊敬されている人についてですら,とんでもない記事が書き込まれる可能性があることを示すため。(50字)
1.ウィキペディアにある項目の記述はだれでも自由に編集できるので,その内容に信憑性がないことを示すため。(50字)
2.クリックすれば誰でも自称編集者になれてしまう以上,本当に編集者の資格があるのか疑わしいという気持ち。(50字)
2.ウィキペディアのeditorは自称編集者なので,本来的意味での編集者ではないという気持ちを表すため。(50字)
3.集団的試行錯誤によってやがては信頼できるものが出来上がる,というウィキペディアンたちの信念が常に正しいわけではないということを示すため。(68字)
3.大勢の集団的試行錯誤の過程から信頼できる記述がやがて現れるというウィキペディアの基本理念が必ずしも当てはまるわけではないことを示す例として。(70字)
4.否定的な偏見や偏った選り好みに基づいて書かれた,人物や物事についての不正確な情報を訂正すること。(48字)
4.ある物事や人物に関して,その不正確な姿を伝えかねない有害な歪曲とか選り好みされた事実を修正すること。(50字)
5.100本以上の科学論文など,宇宙物理学者としての仕事が事実上無視され,オカルト現象やUFOといった非正統的なトピックに関する議論を扱った雑誌の編集を手がけていたことばかりが記事に取り上げられていた。(99字)
5.天体物理学者である筆者が学術誌で発表した100を超える科学論文を無視し,オカルト現象など非正統的な話題に関する議論の場を提供する通俗雑誌で取り上げた話題ばかりをウィキペディアの記事は問題にしていたから。(100字)
6.たとえウィキペディアの記事に歪曲や誤謬があるのだとしても,全く話題にされないよりはされるほうがましだと考えれば,多少は我慢できるという意味。(70字)
6.自分に関して間違ったことを言い触らされるのは不愉快だが,それでも自分が世間から無視されずに事典で話題にされるほどの有名人であるという意味で。(69字)
ユーモアの一つの定義は,「人を笑わせるもの,もしくは微笑ませるもの」というものである。すべてのわかりやすい定義と同様,例外は見つけられる。そのときに誰も笑わなくても,あることにユーモアがあると主張することは可能だし一皆が笑っていても「それはおもしろくない」と主張する人がいる場合もよくある。微笑みや笑いは恐怖や当惑を表す場合もある。このような反論にもかかわらず,そうしだ反応”というものがあることをユーモアと見なす際の重要な要素である。だとすれば,言語についての調査が,“なぜ”人々が笑うのかを説明する助けになる可能性がある。
人々は人と一緒にいると笑う。研究によってわかっていることは,人がたくさんいる部屋では,あるユーモアで笑うのだとしても,その同じユーモアを1人でいるときに笑うことはめったにないという。人々のユーモアに対する反応の仕方には,きわめて社会的な側面がある。真顔をくずさない人々のいるところで,あなたのお気に入りのコメディーを見ても,あなたはそれをそんなにおもしろいとは思わなくなる可能性がある。他の人がユーモアに反応していると感じられることが重要なのである。だからこそ。
「効果音としての笑い声」がテレビやラジオのコメディーで使われるのである。同じ冗談がある場合にはすばらしく受け,ある場合にはまったく受けないということがあるのは,方々を巡業する独演のコメディアンのよく知るところである。言語がもつ他の面と同様にユーモアは人々がある集団に対する忠誠心を示す方法でもある。もし誰かが何かユーモラスなことを言おうとする意図を合図したなら,聞き手はただちに笑う心構えをする。人々は,この種の合図が出ると,その冗談がわかろうがわかるまいが,笑うことが多いのである。
もし聞き手が話し手と距離を置きたいと思っているのならば反対のことが起こる。いったん,誰かのことを,例えば,時代遅れだとか,愚かだとか,人種差別主義者だとか感じたら,あなたが笑うことはなさそうだ。社会的状況がユーモアの創造と受容に重要なのである。ユーモアが時代や社会集団の枠を超えるのは難しいーユーモアはファッションのようにすぐ時代遅れとなるし,特定の文化や考え方に依存している場合が多いからである。状況が重要になる他の場合もある。「あらゆることには時と場合がある」という言葉は,ユーモアにも当てはまる。ある状況では,例えばユーモアが取るに足りないものに思えたり,重要な問題から気を散らすものであったりした場合には,適当であると感じられない。またユーモアを
「冷めた状態で」受け取るのも難しい。朝一番に笑う人はほとんどいない。だから,コメディーの番組は1日のうちでも人がゆっくりする時間帯に予定されているのである。コメディーのイベントが晩にある場合ですら,観客をふさわしい気分にするために前座の芸人がしばしば使われるのである。
ユーモアには,それが意図したものであってもそうでなくても,さまざまな効果がある。ユーモアはただ笑いのためにあるというのは,単純に割り切りすぎだ。笑っていても,ある意味ではそれがおもしろくないと認めることも可能である。ユーモアにはある標的がーそれは人物であったり,制度であったり,一連の信念であったりするのだがーあるのかもしれない。そのような場合には,ひどく深刻な目的が隠されているのである。死に関する嫌な冗談のようにユーモアは驚くほどまじめな状況でも言われることがある。
だから,笑いはユーモアの必要条件でも十分条件でもないが,常識的観点からすれば,ユーモアの定義の出発点として有益なのである。
ユーモアは,文学や広告やメディアが有しているような,より明瞭な意義を欠いた,周辺的な余暇活動のように考えられるかもしれない。友達と楽しく過ごす場合には笑いが伴うのが普通である。
2.①-エ ②一ア ③一力 ④-ク ⑤一オ ⑥-ウ ⑦-コ ⑧一キ ⑨一ケ ⑩一イ
私はパディントン駅近くのパブで,ブランデーのミニチュアボトルを手につかみながら座っている。朝11時を30分ほど過ぎたばかり一酒を飲むにはちょっと時間が早いが,アルコールは一つには報酬として,また一つにはから元気をつけるためである。なぜ報酬か。偶然を装ってわざと大にぶつかり,「すみません」と言った人の数を数えるということをして,骨の折れる午前中を過ごしたばかりだからだ。また,なぜから元気なのか。私はこれから駅に戻って,非常に罪深いことにっまり列への割り込みに数時間を費やそうとしているからだ。
私は本当に“本当に”こんなことはしたくない。いつものような方法を使って,何も疑っていない研究アシスタントに神聖な社会規範を破らせ,私は安全な距離からその結果を観察していたかった。しかし,今回は,私は勇気を出して自分がモルモットにならなければならないと決意したのだ。私は勇気があるとは思っていない。私は怖いのだ。私の腕は大にぶつかる実験で打ち身だらけだ。こんなばかげたイギリス大らしさプロジェクトは全部,今ここで放棄してしまいたい。そして家に帰って,紅茶を1杯飲んで普通の生活を送りたい。とりわけ,午後の間ずっと列に割り込むなどということを,私はしたくはない”。
私はなぜこんなことをしているのか。一体何のために大にぶつかったり,割り込みをしたり(明日やろうとしている同じようにばかげたことについては言わないことにしよう)こうしたおかしなことをしているのか。いい質問だ。どうやら答えておいたほうがよさそうだ。
私たちは絶えずこう言われつづけている。イギリス人は,自分たちの国民性を失ってしまった一つまり,「イギリス大らしさ」などというものはもはや存在しないのだ,と。こうしたアイデンティティの危機と言われているものを嘆き悲しむ本は,大量に存在している。その本のタイトルも悲しげな『イギリスはいかが?』というものから,やるせない『イギリス、一つの挽歌』というものまである。過去12年間の多くの時間を使って,イギリスの文化と社会的行動のさまざまな面をーパブ,競馬場,店,ナイトクラブ,電車,通りの角で調査してきて,私は確信している。「イギリス大らしさ」というものは確かに“ある”レそれが消滅したという報告は,非常に誇張されたものなのだ。この本を書くために行った研究において,私は,イギリス人の行動の隠された暗黙の規範と,その規範が我々の国民性について教えてくれることを発見しようと試みた。
その目的は,イギリス人の行動を支配する規範 つまり,階級,年齢,性別,地域,サブカルチャー,その他の社会的境界にまたがっている行状の非公式的規則-における“共通点”をつきとめることである。例えば,婦人協会のメンバーと革シャンの暴走族には,表面上は共通点がほとんどないように思われる。しかし,表面的な差異という「民族学的眩惑」を超えて見れば,婦人協会のメンバーと暴走族は,さらにその他の集団も,皆同じ不文律一つまり,我々の国民性と国民的特徴とを定義する規範に従って行動しているのだ,ということを私は見出したのである。この国民性は「存続しており,将来にも過去にも広がっているものであり,そこには生き物におけるのと同様,持続する何かがあるのだ」。そう私はジョージ=オーウェルとともに主張しよう。
私の目的は,もうこう言ってよければ,イギリス人の行動の「文法」を提供することだった。ネイティヅの話者が自分たち自身の言語の文法的規則を説明できることなどめったにない。同じようにある特定の文化における儀式や習慣や伝統にきわめて「流暢」である人々は,一般にこれらの慣行の「文法」を大にわかるように説明するのに必要なだけの距離をとることができていない。これが我々が人類学者をもっている理由なのだ。
ほとんどの人々は,自分たちの社会の不文律に本能的に従っていて,そうしていることを意識しない。例えば,パジャマを着て出勤するのを禁じるようなエチケットについての不文律があるということを意識的に思い出さなくても,あなたは朝には,機械的に服を着るのである。しかし,もしあなたのところに人類学者が滞在していて,あなたのことを研究していたら,彼女はこう尋ねるだろう。「なぜあなたは服を着替えるのか」「もしパジャマを着て仕事に行ったらどうなるのか」「何か他のものを着て仕事に行くことはできないのか」「金曜日はなぜ違うのか」「あなたの会社では皆そのようにしているのか」「なぜ重役たちは金曜日にカジュアルな服を着る習慣に従わないのか」そしてまた次から次にあなたが心から彼女にうんざりするまで尋ねるだろう。それから彼女はーあなたの属する社会の内のさらに別の集団に属している一他の人々のところへ出かけて行って観察し,質問するだろう。それから何百ものおせっかいな質問や観察をする。そして,やがて彼女はあなたの文化の衣服に関する「文法」を解読するであろう。
3.①ウ、②ア、③エ、④カ、⑤オ
Now, Words and Their Stories - a VOA Special English program about American
expressions. I'm Rich Kleinfeldt with some expressions containing the word "hit."
Hit is a small word but it has a lot of power. Baseball players hit the ball. Missiles hit an airplane. A car hits a tree. Hit also joins with other words to create many colorful expressions. One is hit the road. It means to travel or to leave a place, as suggested in this song, "Hit the Road." Another common expression is hit the spot. At first it meant hitting a spot at the center of a target with an arrow. Someone who did so was satisfied with his shooting. Now, hitting the spot usually means that a food or drink is especially satisfying. Many years ago, Pepsi Cola sold its drink with a song that began, "Pepsi Cola hits the spot, twelve full ounces, that's a lot..." Another expression involving hit is hit bottom. Something that has hit bottom can go no lower. If the price of shares of a stock hits bottom that might be the time to buy it. Its value can only go up. A student who tells you his grades have hit bottom is saying he has not done well in school. When a student's grades hit bottom it is time to hit the books. Hit the books is another way of saying it is time to study. A student might have to tell her friends she can not go with them to the movies because she has to hit the books. Not hitting the books could lead to an unpleasant situation for a student. The father or mother may hit the ceiling when they see the low grades. Someone who hits the ceiling, the top of the room, is violently angry. A wife may hit the ceiling because her husband forgot their wedding anniversary. To build something of wood, you usually need a hammer. That is what you use to hit nails into the pieces of wood to hold them together. When you hit the nail on the head, exactly on its top, it goes into the wood perfectly. And when someone says your words or actions hit the nail on the head, he means what you said or did was exactly right. If you are tired after hitting all those nails on the head, then it is time to hit the hay. That expression comes from the days when people slept on beds filled with dried grass or hay. Some people slept on hay in barns where they kept their farm animals. Hitting the hay simply means going to bed. That is a good idea. I think I will hit the hay now.
This VOA Special English program, Words and Their Stories, was written by Frank
Beardsley. I'm Rich Kleinfeldt.
①especially satisfying ②no lower ③time to study
④violently angry ⑤exactly right ⑥to bed
A BRIEF HISTORY OF NEWSPAPERS
Today I'm going to talk about the history of newspapers. Now, I wonder how many of you read a newspaper every day? How many of you get the news from other media: from TV, radio or the internet? Despite the explosion of new media technology, particularly in the last ten years, newspapers are still the main source of news around the world. According to one estimate, around one billion people read a newspaper every day.
From the beginning of civilization, people have always passed word around of new and interesting events. The first written news that we know about was in the form of handwritten news sheets circulated by government officials in China during the Han Dynasty from 202 BC to 221 AD and then again later in the T'ang Dynasty (618-906).
News sheets also appeared in Ancient Rome. In 59 BC, Julius Caesar ordered that large white boards called the Acta Diurna on which information about such things as the latest laws, regulations and um military activity was written should be displayed in public places, such as the Forum and the Baths.
Of course the most important event in the history of newspapers, as in all media, was the invention of the printing press in 1447 by Johann Gutenberg. The first printed news sheets fell into two types: one was information that was useful to trade and commerce. This type of news media was fuelled by and in turn helped to fuel the growth of a powerful merchant class throughout Europe. Another type was the pamphlet. Many of these contained sensational stories ― often about terrible happenings in other countries. One German pamphlet for example carried reports of the horrific abuse of Germans living in Transylvania by Vlad Trepes Drakul, better known today as Count Dracula.
These early news sheets were not what we would think of as newspapers - mainlybecause they were not published on a regular basis. They tended to be printed in response to some interesting event. Perhaps the earliest 'real' newspapers were the notices sent out once a week by the government of Venice from 1566 and sold for a small coin, called a gazetta.
However, it was the beginning of the 17th century when newspapers began to spring up all over Europe. The oldest surviving newspaper in England came out on September 24, 1621 under the rather long name: Corante, or weekly news from Italy, Germany, Poland, Bohemia, France and the Low Countries." Its publisher gave only his initials, N.B. At that time in London there were two publishers with those initials! Nathaniel Butter and Nicholas Bourne. There is some argument among historians which of these was the NB of this early newspaper.
As you could probably guess from the title of the English newspaper, newspapers in the first half of the 17th century were mainly concerned with news from abroad, not domestic issues. This began to change in the latter half of the 17th century. In England the weakening power of the King was reflected in the tendency of newspapers to criticize his authority. Newspapers announced the beheading of King Charles I at the end of the English Civil War, despite an attempt to suppress them by Oliver Cromwell. Cromwell succeeded in censoring the press, but after the return of the monarchy, newspapers came back stronger than before.
The eighteenth century saw freedom of the press as a key element of the political movements that were developing in the British colonies, particularly America, and in other European countries. Sweden was the first country to pass a law ensuring press freedom. In America, the First Amendment to the Constitution of the United States, ratified in 1791, prohibits Congress from passing any law that limits the freedom of the press.
Now we move onto the 19th century when we have another landmark event in the history of newspapers: the invention of the telegraph in 1844. Prior to this, newspapers had struggled to fill their pages with timely information. Often the news was old and conflicting accounts of the same event might appear in a newspaper on the same day. Now they had access to fresh information from around the world. Newspapers now spread to all corners of the world. Japan already had a form of news media known as yomiuri, or kawara-ban sheets, which were used from the Tokugawa period. However, Japan's first modern newspaper was the Yokohama Mainichi Shinbun, which appeared in 1870.
The 1890s to 1920s was the golden era of print media. This was the age of media barons ― men like William Randolph Hearst, Joseph Pulitzer and Lord Northcliffe, who built up huge media empires and massive fortunes. They also controlled much of the media ― in 1922 for example, Hearst owned 20 daily and Sunday newspapers, two wire services, six magazines and a news reel. This amount of media power meant the media barons also wielded considerable political power, and many people at the time considered this to be unhealthy.
In the second half of the twentieth century, however, newspapers began to face a threat to their dominance. The threat started with competition from radio which began offering another source of news in the 1920s. However the main change has been due to Television. In 1940 one newspaper was sold for every two adults; by 1990 this had declined to one in three. According to one survey, only 8.9 per cent of Americans kept up with news of the Persian Gulf War primarily through newspapers.
Most of the major newspapers that have survived the competition have done so because they are owned by large national media chains, some of which also own other media outlets such as broadcasting companies. They have changed in other ways too. To some extent they've experimented with new technologies and more entertaining styles. Most have made in-depth analysis and opinion a feature that distinguishes them from other media. The number of newspapers with different voices and different perspectives on the world has certainly declined, but those different voices and perspectives have not disappeared; they have moved to the internet.
①一c ②一b ③-a ④-c ⑤一a ⑥-b
⑦-c ⑧一b ⑨一a ⑩-a ⑪一b ⑫-a
⑬-c ⑭-a ⑮一b
⑬-c ⑭-a ⑮一b
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